何度でも起きる

 

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玉砕される事もあります。
無力感にさいなまれる事もあります。
疲れて嫌になる事もあります。
投げ出したくなる時もあります。


ですがそれをすべて振り切ってやらなければならない事もあります。
厳しいとわかっていてもやらなければならない事はあります。


歌でもありますよね。
何度でも~何度でも♪ってあります。


起き上がりこぶしと言うのがあります。
昔、子供のころは私はそれが好きだったようで、
母親に「あんたは良くそれを殴っていたよぉ」と笑顔で言われると、
あははははっ・・・と言うようになります。


人が精神を養うのは幼い頃からの教えであったりします。
また幼い頃からの個性にもよります。


ですがそれらはすべて親の保護下にあります。
昔の母親と言うのは学校から帰ると家に居たものです。


ですが今は両親ともに働いて
子供が構ってもらえない・・・
聞いてもらえない・・・
会話してもらえない・・・
と言うのが増えていると思います。


経済が豊かになって生活は楽になったはずなのに・・・。
何かが足りない気がするのです。


昔の話だ・・・と言われてしまえばそれまでです。
ですが・・・心と言う中枢がどこかに置いていかれてしまって、
豊かさばかりを追い求めるようになった。
またはお金、物質に埋もれているのでしょうか。
人により人が1000人いればその個々の豊かさは違います。


豊かと言うのは何でしょう。
絆とはどこから生まれるのでしょう。


私たちが子供の頃、私は施設でも寮母さんに頬を叩かれました。
そして厳しい躾けも受けました。
ですがそれを暴力だと思った事はありません。


痛みが伴うとき必ず理由がありそれを理解できました。
決して大人の理不尽な感情で殴られた事もなければ、
納得できないまま終わった事もありませんでした。


今の子供はおもちゃやゲーム、何でも溢れていて豊かです。


羨ましいと判断しますか?
そうではないと判断しますか?


私は子供の頃、縄跳びで遊び、木の根にぶら下がり、
川の中でザリガニを探し、父に抱かれ母に怒られ育ったものです。
ゲームなどありませんでした。


自然が遊び相手で、春になると家の前の桜が咲き、
冬になると少しの雪で汚い雪だるまを作る。
私にはとても豊かでした。


何度でも何度でも、どの光景の中に帰りたいと懐かしくなります。
でも記憶の中でいつも帰れます。
心はその風景を忘れません。
これが財産であると思います。


皆さんの中にもあると思います。
何度でも何度でもそれを励みに起き上がり、
何度でも何度でもくじけても起き上がり生きましょう。


私にはそんなメッセージしか送れませんが、
皆さんの心の中に少しでも何かが刻まれれば、
それがいちばん嬉しく幸いな出来事です。



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